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二宮真佑子のブルズびいき
Vol.5“I never lose. Either i win or i learn”ジュフ・バンバ#99

Vol.5“I never lose. Either i win or i learn”ジュフ・バンバ#99

「私は、負けるということは決してない。勝つか、学ぶか、どちらかである」。
バンバ選手は、自身が掲げる座右の名の通り、人生において志を高く持ち、努力を惜しまない真摯な姿勢が印象的だった。また、自分を素直にさらけ出し、時折、冗談も交えて笑顔をみせるチャーミングな一面も。今シーズンは、怪我で苦しんだものの気持ちを切り替え、チームにとって心強いサポート役に徹した。日本に来て10年。流暢な日本語を使って、母国セネガルのことや高校時代のことなどバンバ選手のバックグラウンドについても語ってくれた。

今シーズンを振り返って「昇」

バンバ:昇格の「昇」です。今シーズンは、チームが昇格のために頑張ってきた勝負の年でした。僕は、最初、5試合に出たんですけど、岐阜戦でケガをしてしまったので残念でした。本当は最後までやりたかったので。しっかり治して、頑張って次、絶対昇格したいなと思っています。

―今シーズンは、八王子戦や岡山戦など5試合に出場。ゴール下はもちろん、得意のペイントエリア付近でのシュートを繰り出し、多彩なプレーで相手を翻弄した―

―バンバ選手の活躍に期待がかかる中、岐阜戦で右膝を負傷。右膝半月板の再損傷のため手術を受けることになった―
二宮:連勝が続きチームも勢いづいている中でのケガ。その時の率直な気持ちは?
バンバ:正直、落ち込みました。またいつも通りにできるかなって悩むこともあって、
夜も寝られなくて、朝方4時前とかに起きることもありました。でも、スポーツ選手なので切り替えないといけない。人生の勝負は、これからなので。でも、やっぱりあの時は、ビッグブルズがずっと勝っていたのでそれが大きかったです。それを見て自分の気持ちが前向きになりました。

チームのコミュニケーションのパイプ役に

―バンバ選手は復帰までの間、チームの通訳を率先して行い、外国人選手の気持ちを汲み取り、選手やコーチ陣とのコミューニケーションをつなぐ重要な役割を果たしていた

バンバ:ちょっとでもチームのためにできることがあれば助けてあげたいって思いました。ケガをして通訳ぐらいしかできなかったので。プレー中は、選手の本当の気持ちに気づくのは難しいです。でも、外から見ている人が気づいたりすることがあるので、そういう時に自分が気づいたことを選手に伝えたりとか、外国籍選手が思っていることや不安なこととかも聞いて通訳して伝えていました。やっぱりチームが一つにならないと前に進めないので大事だと思います。

日本に来て10年

―バンバ選手の出身は、西アフリカのセネガル、首都ダカールで生まれた。
警察官の父親、主婦の母親、そして姉と兄がいる末っ子として育った―

バンバ:必ずお姉ちゃんとお兄ちゃんが学校から帰ってきたらバスケをしに行っていて、僕も行きたいって。その頃4歳か5歳くらいかな。でも、お兄ちゃんとお姉ちゃんは僕がくるのを嫌がっていました(笑)だけど、お父さんは「連れていかないと誰もバスケできなし、みんな家にいることになるよ」って言って連れて行ってもらって。
それで、お兄ちゃんとお姉ちゃんのおかげで僕は、バスケが好きになりましたね。

―小学校から本格的に始め、中学生の頃には、身長がすでに190㎝。
バスケでは、セネガルNo.1の中学校にいたバンバ選手、U15のナショナルチームに選ばれるなど、才能を伸ばしていった

二宮:高校進学で日本に留学しようと思ったのはどうしてですか?
バンバ:僕が最初行きたかったのは、アメリカかフランス。アメリカは、バスケが一番有名な所だし、フランスは、フランス語が喋れるので、言葉に困らないなと思って。
でも、ある時、留学のエージェントの人が父親のところに来て「奨学金がもらえるので日本に行った方がいい。日本は安全だし、新しい言葉も勉強することができるよ」って言って、父親ももともと日本には良い印象を持っていて、新しい環境で新しい言葉や文化を学べる機会になるのなら、そっちがいいとすすめられて決めました。

―日本には、ニンジャがいるから気をつけろ!―
二宮:初めての日本。最初はどのような印象でしたか?
バンバ:来る前は、「空手」とか「忍者」のイメージしかなかった(笑)
僕が日本に行く前にセネガルの友達から、「お前、日本に行ったら気を付けろよ。忍者とかいっぱいいるから。学校でケンカしないように気をつけろよ」って言われました(笑)

―全く知らなかった日本での生活。今では、流暢な日本語はもちろん、読み書きも完璧。高校時代はバスケ漬けの日々を送りながらも、日本語の習得にも励んだという。
まさに、勉強家のバンバ選手の努力の賜物だった―

バンバ:僕が入学した時に、父親が高校の先生に電話をしていたんです。「バスケをするだけのために留学したのではありません。しっかりと勉強させてください」って。それでそれを聞いて校長先生が、マンツーマンで授業するようになったんです。
1日2回の授業を1時間くらいずつ。校長先生との授業は、英語が使ってはいけないので日本語しか喋れないんです。だから、覚えるしかなくて。でも、この授業のおかげで選手とのやりとりもできたし、大学でも全く困りませんでした。

母国セネガルの魅力

―セネガルは、みんなとても明るい!と笑顔で話すバンバ選手。
日本で暮らす中でも母国への愛を忘れない。今でも、セネガルの家庭料理を作って食べているバンバ選手におすすめの2品を教えてもらった―

●チェブジェン
チェブ=米、ジェン=魚を意味する魚の炊き込みご飯。セネガルを代表する家庭料理。
●マーフェ
ピーナッツバターをベースに肉や野菜、トマトを煮込んだソースをご飯にかけて食べる。「マーフェは、めっちゃくちゃ美味しいですよ」と大絶賛。

―好きな芸能人は、世界的にも有名な歌手、セネガル出身のユッスー・ンドゥール―
バンバ:試合前とか、普段もよく聞きます。この人は、ゼロからのスタートで、
すごいとしか言えないです。貧しくて、中学や高校も行けなかったんです。
だけど、歌手になりたいっていう夢を持っていて、親からは反対されるんですけど、
ひとり家を出て、友達と一緒に歌手活動を始めるんです。有名になってお金ができてから、自分で勉強をして資格とかもとって、そういう努力する生き方も含めて好きです。
車の中でもよく歌うんですけど、奥さんからは「うるさいよ」って言われます
(笑)

―最後に、今シーズン熱い声援を送ってくれた皆様にメッセージを―
バンバ:目標は変わらず「昇格」です。僕は、川崎から始まったので、
岩手ビッグブルズのみなさんも川崎のファンの皆さんも応援してくれたみなさんに、
「大(だい)ありがとうございます!」っていう気持ちです。ファンがいてくれるおかげで自分のMAXが出せるので、来シーズンも応援よろしくお願いします。

※次回は、#16伊藤良太(いとう・りょうた)選手です。乞うご期待!